250回忌法要|後の世に何を遺しうるのか
本年は、当山第11世ならびに第12世住職の250回忌に当たるご勝縁の年であります。
250回忌とは、安永6年、西暦1777年に世を去られたお二方を、令和8年、西暦2026年の今日にお偲び申し上げることとなります。
江戸時代中期の安永6年は、時代の移ろいがすでに静かに進みつつあった頃です。
そのような時代に法灯を護り、山門を支え、檀信徒とのご縁をつないでこられた歴代住職の歩みを思うと、当山に流れる歳月の重みが、ひとしお身にしみて感じられます。

当山には、万治元年、西暦1658年より続く過去帳が今に伝えられております。
その記録は、徳川家康が元和2年、西暦1616年に亡くなられてから、なお40余年を経た頃に始まるものであります。
江戸の世の礎がなお人びとの記憶に近く感じられた時代より、当山ではすでに多くのいのちが丁寧に書きとどめられ、供養の心が絶えることなく受け継がれてきたのです。

過去帳は、ただお名前とご命日を記す帳面ではありません。
そこには、一人ひとりの人生を忘れまいとする祈りの心が重ねられております。

第11世、第12世住職のご法縁もまた、その長い記憶の流れの中に大切に刻まれ、今日の私どものお参りへとつながっております。
遠き昔の人を偲ぶことは、同時に、今を生きる私達自身の歩みを見つめ直すことでもあるのかもしれません。

250回忌法要は249年を経てもなお、忘れず、絶やさず、手を合わせる心が今ここに保たれていることを確かめるご縁であります。

250回忌法要をご縁として、歴代住職のご遺徳を偲びつつ、私自身もまた、後の世に何を遺しうるのかを問い、日々の歩みをあらためてまっすぐにしてまいりたいものです。






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