意外と知らない仏教用語
①我慢(がまん)

我慢現代語の「我慢する」は、つらさをこらえるという意味で使われます。
しかしこれは本来の仏教語から意味が変化したもので、もともとの仏教では煩悩の一つとして扱われます。
仏教用語の我慢は、自我にとらわれておごり高ぶる心をいいます。わかりやすくいうと、自分が正しい、自分の考えを通したい、という心に近いです。これは七慢の一つとも説明されます。
仏教の我慢は、忍耐ではなく、我の強さから出る慢心です。
②挨拶

挨拶はもともと禅宗の仏教用語で、一挨一拶(いちあいいっさつ)→ 師弟や修行僧同士が問答や動作を通して悟りの深さを試す行為を指し、そこから現在の 礼儀としてのあいさつ の意味に転じた言葉です。
今の挨拶という言葉は、この一挨一拶(いちあいいっさつ)が元になったとされています。
もとはただの声かけではなく、相手に近づき、応じ合うことという意味合いがありました。
③玄関

玄関は現代では家の出入口を指しますが、語源的には『老子』第一章の句、玄之又玄(げんのまたげん) 、衆妙之門(しゅうみょうのもん)に由来し、仏道・真理への入り口を意味した仏教的な観念語が日常語化したものとされます。
とても奥深くて、簡単には言い表せない真理の入口 を意味します。
④諸行無常(しょぎょうむじょう)

諸行無常は、この世のあらゆるものは変化し続けていて、不変ではないという仏教の教えです。
三法印(さんぼういん)という、仏教の最も大切な教えの一つとして位置づけられています。
諸行無常とは、すべてのものは変わり続けるということです。
人の気持ちも、体も、季節も、そして幸福、不幸でさえもずっと同じではない、だから執着しすぎず、今を大切に生きましょう という解釈になります。
⑤因縁

因は、結果を生む中心の原因です。
縁は、その原因を助けるまわりの条件です。
仏教では、あらゆるものは無数の因と縁によって成り立つと考えます。
つまり、苦しみも喜びも、人との出会いも、自分だけの力や一つの原因だけで決まるのではないということです。
⑥世間

世間、現代の日本語では、世の中や人の目という意味で使われることが多いです。
ただし仏教では、もっと根本的に、無常で移ろう存在の世界という響きがあります。つまり人も物事も移り変わっていく世の中を表す言葉です。






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