禅宗って何宗?|雲林寺は?
御朱印を頂きに来られたお客様に聞かれました。
「このお寺は禅宗ですか?」
一般的に「禅宗」という言葉は「坐禅をする宗派」という意味に使われていますが、「禅宗」には
臨済宗(りんざいしゅう)
黄檗宗(おうばくしゅう)
曹洞宗(そうとうしゅう)が含まれます。
雲林寺は曹洞宗です。
曹洞宗は今から800年ほど前の鎌倉時代に、「道元(どうげん)禅師」が中国から日本に伝え、「瑩山(けいざん)禅師」が全国に広められ、「曹洞宗」の礎を築かれました。
大本山は二つあり、永平寺(福井県)は道元禅師、総持寺(横浜市)は瑩山禅師が開きました。
曹洞宗のご本尊は、中央にお釈迦様、向かって右に道元禅師、左に瑩山禅師という形をとり、これを「一仏両祖」と呼びます。
現在約一万五千ヶ寺、僧侶二万人、一千万人の檀信徒を有しております。
《道元禅師》
道元は、1200年、京都の地で、公卿の家の子として生まれました。
しかし、3歳で父を、8歳で母を失い、13歳で出家し、比叡山に上ります。
当時の比叡山は世俗化しており、その状況を憂いた道元はまもなく山を下り、当時日本でにわかに広がりを見せていた禅の教えに触れ、その神髄を学ぼうと24歳で中国に渡ります。
中国ではすでに曹洞宗という宗派ができており、天童山景徳寺(浙江省)の住職だった如浄に弟子入りし、正式に曹洞禅の後継者として認められ、28歳で帰国します。
日本に戻り、禅の普及に尽力しますが、新興の教えに対してさまざまな反発にあいます。
道元は師匠の如浄の教えにならい、政治経済の中枢である京都ではなく、福井県の山深い場所に禅道場を開き、これが、現在の永平寺となります。
晩年は、禅の教えをまとめた大著『正法眼蔵』(全95巻)をまとめ、55歳で亡くなります。
《瑩山禅師》
道元の死後、曹洞宗は宗派内の対立などもあり、衰退していきますが、それを大きく復興、大発展させたのが瑩山です。
瑩山は、民衆に寄り添う布教方法で、その教線を拡大していきます。
本来禅宗ではただ坐ることを重んじ、目に見えない霊魂を扱うような加持祈祷とは無縁でしたが、現世利益を求める庶民に答えるために、こうしたものを禅の教えに取り入れていきました。
また、当時の仏教界ではあまり見られなかった女性救済を積極的に推進し、多くの尼僧をお寺の住職に登用しました。
井戸掘りや灌漑、さらには医療などの社会福祉的な人々のためになる活動にも従事したとも言われています。
曹洞宗が日本最多の寺院数を持つまでに隆盛したのは、瑩山とその門下によるものです。
《曹洞宗の教え》
曹洞宗の修行の根幹は坐禅の実践ですが、坐禅だけでなく、日常生活の一つひとつを、感謝と喜びの心で、瞬間瞬間をていねいに実践し続けることを修行と捉えています。
この記事へのコメントはありません。