 
  
          只管打坐(しかんたざ)|身心脱落
 
   曹洞宗の開祖・道元禅師の坐禅(ざぜん)は、「只管打坐(しかんたざ)」であります。

「ただ ひたすらに坐る」という意味です。
「それに成りきること」であり、坐禅は、坐ることに成りきることであります。
| 体と心が一つになる | 
ということです。
道元禅師は「只管打坐」により身体と心の束縛から離れる「身心脱落」という境地に至り、悟りを得たとされています。

この「身心脱落」というのは、身も心も一切の束縛から放たれ、自由になった状態を指し示しています。

これまで自分自身が様々なものに執着していたことが、あらゆる苦悩を生み出す原因であったことに気づき、身心共々、とらわれるものがなくなって、すっきりとした状態になることであります。
こうした状態というのは、なかなか想像し難いものがありますが、
| 「すがすがしい」 「怖いものがなくなる」 | 
といった、何ともいえない爽快な状態です。
異国の地・中国で、ついの本当の師匠に出会うことができ、悟りの境地を得ることができた道元禅師にとって、何とすがすがしく、爽やかな瞬間を迎えられたかは想像に難くありません。
本日、埼玉県より坐禅体験に来られました。
坐禅終了後の爽やかな顔が印象的でした。
是非、また坐禅にお越し下さい。
 
    





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