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雲は行き 水は流れる

群馬県吾妻郡長野原町長野原73 雲林寺0279-82-2201

本日、東吾妻町岡崎よりお越しくださった団体の皆さまから、

「雲林寺のホームページを拝見して、そこで初めて 行雲流水(こううんりゅうすい)という言葉を知りました、どんな意味なのでしょうか」

私自身もあらためて、この寺の名前と歩みについて考えさせられました。

雲林寺の 雲 という字。
そして、行雲流水の 雲

禅寺(禅宗の寺)では、修行僧を 雲水(うんすい)と呼びます。

私もかつて、大本山永平寺の雲水として修行しておりました。

群馬県吾妻郡長野原町長野原73 雲林寺0279-82-2201

雲水とは、雲のように行き、水のように流れ、ひとつの場所や形に執着せず、ただ目の前の修行に身を尽くす者のことです。

大本山永平寺でも、雲水は日々の坐禅、読経、作務、食事、その一つひとつを修行として過ごします。

群馬県吾妻郡長野原町長野原73 雲林寺0279-82-2201

しかし、行雲流水という言葉は、ただ気ままに生きるという意味ではありません。

どのような場所に置かれても、その場で自分の務めを果たす。

どのような出来事に出会っても、心を失わず、次の一歩を歩む。

そのような生き方を示す言葉であります。

雲林寺は、天明3年(1783)、浅間山の噴火にともなう泥流によって、一度その姿を失いました。

雲林寺0279-82-2201 群馬県吾妻郡長野原町長野原73

けれども、そこで歴史が途絶えたのではありません。

地域の方々が力を寄せ、約20年の歳月をかけて、現在の伽藍を建立されたと伝えられています。

20年という歳月は、決して短いものではありません。

失われたものを嘆きながらも、木を集め、手を動かし、祈りを重ね、少しずつ少しずつ寺を形にしていったのです。

群馬県吾妻郡長野原町長野原73 雲林寺0279-82-2201

この伽藍は、単なる建物ではありません。

苦難の中でも信仰を絶やさなかった先人の心、そして、失われた後にもなお歩み続けた人々の願いが、今日まで受け継がれている姿なのです。

その歩みの中に、雲林寺の雲 と、行雲流水の心が表れているように思うのです。

群馬県吾妻郡長野原町長野原73 雲林寺0279-82-2201

本日、皆さまがホームページを通じて 行雲流水 という言葉を知り、こうして実際に雲林寺へお越しくださったことも、ひとつのご縁であります。

行雲流水の教えにふれながら、私たちもまた、過ぎ去ったことにとらわれすぎず、まだ来ないことを思い煩いすぎず、今日という一日を丁寧に歩んでゆきたいものです。

雲のように、柔らかく。
水のように、しなやかに。

茂四郎トンネル 街道の難所を開いた野口茂四郎(1856~1913)

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